静かに暮らしたい父親の記録

中学受験、ADHD、子供と親の問題回避の記録

中学受験振り返り 2020年春、休校期間のこと

 

2021年、1月現在。

前回の学びを活かして、緊急事態宣言は発令されたが、学校は休校を免れた。

(対面・会話が問題だと分かったのに、単に外食を制限したのは学びが活きてないのだが。まぁ、喋りながらでないと食事できない人がいてその層は理解力が低くルールを守れるだけの自制能力も低い、よって場を制限するしかない、という高度な政治的判断だよね、これは)

多くの子を持つ親(特に働いている親)が色々と負荷を背負った前回の悲劇が繰り返されなかったことは良かったと思う。

2020年春の休校期間、中学受験生たちはどうだったのか?

2020年春の休校期間は、とても大きな気付きの時間だったと思う。そして、できれば二度と経験はしたくない。親として、一人のビジネスパーソンとして、非常に不健康で辛い時期だった。

特に、我が家は次の中学受験を控える息子がいた。

受験まで1年を切った3月から、小学校が休みに、、、、、、いや、小学校が休みかどうかは正直どうでもいい。子供が家にいるなかでの在宅ワークは親としてしんどかったのだが、それはそれ。

何が問題だったか。明白だ。

塾が止まった。

基本的に、家での勉強も大事だが塾でしっかり勉強してほしい、と考えていた。

まず受験が本人希望なので、親が強制力を発揮していない。その家庭環境で勉強するより、塾にいったほうがいいよね、となる。

親として言っていたのは、

  • やる以上は決めたことをしっかりやりなさい。決めたことは守ること。
  • 目標があるならそれに向かって努力しなさい。結果はどうあれ力になる。
  • 時間は有限なのでできるだけ集中してやりなさい。※特に息子は内省思考が強くボーっとしがち。

このあたり。本人の勉強への取り組み方の問題は、またあとで書く(かも)。

で、塾のほうが専門家の集団なのだから、いずれにしても塾の言うことを理解して塾の場で勉強したほうがいい。こっちは、初心者だし、中学受験という領域を極めようという意欲などは全くない。よい環境を子供に用意することの重要性は理解しているし、学校環境には興味はあるが、そこに至る中学受験システムは必要に迫られて乗っているだけで興味はない。

その塾に行けなくなったことが問題だった。

休校中の時間の使い方が…

休校が終わってしばらくして、だいたい9月くらいからだろうか、いろいろなメディアやブログなんかで、今年の中学受験は休校期間中の時間の使い方が左右するだろう、などの記事が増えた。

まぁ、学校に行かなかった分を全部受験勉強に振り向けてしっかりできていれば、成績上がるよね、という安易な話から、休校中の各塾の動向とかまで色々と話題は尽きないようで。特に、一時期はオンラインでの授業継続の可否が話題だった。

個人的には、休校中の時間の使い方は確かに差が出る要素にはなったと思うが、結局「3~5年生のうちに知識の積み重ねができていたか」のほうが影響度合いは大きかったように思う。

6年生になってやることは、5年生までの知識と解法の基礎を使った応用・実践に入るので、塾講師からのフィードバックがないとあまり成立しない。

かつ、6年になるまでに上記の知識と解法の基礎ができていない場合はこの復習から入る(のだと思う。それとも難問はあきらめるのかな?)ので、いずれにしても対面授業が効果的なタイミングだったと思う。

塾が休校になってしまうと、講師からのフィードバックは両親が間に入る前提になる。超面倒である。親の入り方が悪いと効果も下がるだろう。

実際どうだったか

実際のところ、休校中は応用や実践の習得はあまり進まず、基礎の繰り返しをひたすらやったことで差がついた(かも)となったのではないかと思っている。

私立中学校は、学校によって出題傾向が全く異なるので、基礎の繰り返しが効果を現す学校なら差は大きいし、独自色の強い学校なら休校期間にひたすら読書してました、とかのほうが結果は良いものになったのかもしれない。

うちの息子は、もともと得意では?と思われていた算数が応用・実践に入ってつまづき(正確にはもっと前からつまづいていた)、理社の知識面の不足は休校中にカバーができた。

良くも悪くもなかったが、塾から送られてくるテキストが届くのを楽しみに待っていたし(郵便が届くとすぐに確認していた)、配信される塾の授業動画はまるでアニメを見るように楽しそうにゴロゴロしながら見ていた。本人のストレスが増えずに過ごせていたのかもしれない。

補足:子供にとってかわいそうだった、と思う前に

新型コロナウイルスの感染拡大の中で子供時代を過ごす今の子供たちはとてもかわいそう、という話を聞く。たまに子供のいない人からそういう話をされる。

まぁ、そういう側面もあるかもしれない。

実際はどうだったか?2020年春の休校期間中を振り返ってみて

自分は、人それぞれだったと思う。

ただ、ひとつ言えることは。

小中学校が強制していた画一性から解放されたのでは?

普通の公立の小学校では、周囲に合わせることを学ぶ。色んな意見があって、みんな良い、という教育を受けてそこで話が終わってしまうので、議論の仕方は学べない。みんな違うけど、それはいいけど、周囲にあわせようぜ、と教わる(これは本当に)。

公立の中学校に行くと、その環境はあまり変わらず、ただ緩くなる。寛容に。中学生まで行くと個々の生徒の能力差が開きすぎていて、画一的な教育とかはもはや無理な域になる。トップ高校に向けて勉強する生徒と、小学校の分数でつまづいてそれ以降数学が全く分からない生徒が同じ授業を三年間受ける。けっこうヤバい。でも現実だ。

そんな、学校という場から解放されて子供たちはどうなるか?

一つは、親がずっと面倒を見て怠惰な生活になんとか落ちずに生活したパターン。

あとは、千差万別。

中学受験を目指していた子供たちはラッキーだった。やることがある。あとは、塾に行かずにできるか?もともと少しでも勉強に興味があったのか?

人によっては、何か自主的な活動ができた子供もいた。おそらくごく一部。

近所の小学生達は、2020年春の休校期間中、毎日朝から晩まで外で遊んでいた。毎日同じ遊びで飽きないの?と思うくらいに遊んでいた。

自分は在宅のリモートワークだったので、日中は外からずっと子供のギャーギャー騒ぐ声がして「ちょっとうるさいなぁ、まぁでも子供だから騒ぐよな」と最初は思っていた。

じきに、近所からクレームが入るようになった。子供にクレームを入れる近所の老人は、子供の区別がつかないので外で遊んでいない我が家にも文句を言いたげ。まぁ、これも起きるだろうな、と思っていた予想範囲の一つ。ちなみに最後は警察がきた。

で。近所の子達は、休校期間中ずっと外で朝から暗くなるまで遊んでいた。休校期間が終わったあとも、しばらく短時間の学校のあとは遊んでいた。

遊ぶのは、やることがなかったから

遊ぶことは社会性を身に着ける大事なことなので、遊ぶのはいい。子供は外で遊んでいるのが自然だということもわかる。親が遊ばせてばかりで面倒を見ない気持ちも分かる。面倒くさいし、親は親で色々負荷が高かった。事情は全部飲み込める。

問題は、結果。

彼らは、ただ遊んでいた。

小学校という場から解放された結果、一日中遊ぶ以外のやることがなかった。

遊び疲れて(遊び飽きて)、アスファルトに座り込んで。目の前を横切る自分や他の通行人をボーっと下から見上げていた子供たちの目を、よく憶えている。

たまに声をかけると、いや声をかけなくても、いつも言っていた。

「あー、ヒマだ」と。

遊びたくて遊んでいたわけですらなかった。彼らはただ、ヒマだった。

何もやることがなかった。

これが、自分はすごく恐ろしかった。